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2014年03月14日

奄美の水力発電所

奄美愛ネットの平井です


奄美大島には4つの発電所と1つの変電所が有り
その中で唯一住用川発電所は水力発電所です


大正8年9月13日に旧大島電力が設置して
現在に至っています

三太郎トンネルを出た場所に平成3年9月に
撤去した水車が設置してあり
71年間使用されてきました

奄美大島の発展に大いに寄与してきたんでしょうね

普段何気なく通っている三太郎トンネルですが
時にはちょっと一休みしてはいかがですか

水車です


発電所です


電気ってないと本当に困りますよね



  

Posted by 奄美愛ネット at 09:56Comments(0)歴史

2013年12月28日

「由井豊年踊り」 県指定無形民俗文化財

奄美愛ネットの平井です


油井の豊年踊りは県指定無形民俗文化財で
旧暦8月15日に集落の公民館前に
広がるミャーと呼ばれる広場で行われます


大勢の観光客やツアー客・地元の方の参加が例年見られ中央に
土俵があり周りにはたくさんのデイゴの木が見られ独特の雰囲気
を出して不思議です








今年の豊作を感謝し、来年の豊作を願うお祭りとし
て古くからの演目が受け継がれており、中でも川を
渡る様子をユーモラスに演じる「ガットドン」やシシを
退治する「玉露カナ」などは、観声や拍手が沸き上
がり大いに盛り上がります



全演目は

①綱切り
 人々が踊る合間をぬって異形の者が現れ、綱を三回切る
 豊年踊りの最初に行われる




②振り出し
 力強く、勇ましく、力士が土俵入りする





③土俵祓い
 舞台となる土俵を祓う



④稲刈り
 土俵を田んぼに見たて、稲刈りの様子を演じる



⑤稲すり
 「稲すり節」の唄に合わせて、摺り臼で脱穀する様子が演じられる



⑥米つき
 力士のひじを杵にみたてている



⑦力めし(ジュウゴヤウバン)
 女性による力飯の入場し力飯にはサンダンカの花が添えられている





⑧観音翁の土俵見舞い(ヒゲフッシュ)
 お供を連れて豊年祭を見物にやってきた「ヒゲフッシュ」の無言劇



⑨玉露カナ(シシ)
 女性を襲うシシを退治する



⑩ガットドン
 座頭が川を渡る様子をユーモラスに演じる




⑪打ち上げ
 二人の力士が酒の入ったカメを土俵中央に運ぶ



⑫八月踊り
 最後は会場に集まっている人々で輪になって踊る




                
観光客も参加して大いに盛り上がっていました

来年は貴方も参加してみませんか!!!


参考ビデオです




























  

Posted by 奄美愛ネット at 13:49Comments(0)歴史郷土芸能

2013年12月26日

お墓について


奄美愛ネットの平井です


奄美大島には古いお墓が多数現存するが城間トルフ
を始めとして古代の人々が個人に対する敬愛の念を
感じさせられる


墓地は丘の斜面に横穴を掘り内部には奥に一段高い
死床を有してこの上にお棺を安置し改葬後甕棺に骨
を納骨する


「トルフ」とは天国に通じる道と言われていて古代
中世の葬制を知る上で貴重な文化財である





  

Posted by 奄美愛ネット at 09:00Comments(0)歴史

2013年12月24日

戻ってきた鐘


奄美愛ネットの平井です



大笠利教会のアンジェラスの鐘は一度島外へ疎開しましたが
40年後に里帰りしたことで知られる

奄美大島にはキリスト教が布教(1879年・明治12年)されて100年以上
がたつ


人口に対する信者率は、長崎と並んで全国平均の6倍といわれる


奄美北部には教会が多数点在する
(大笠利教会・赤木名教会・手花部教会・平教会・喜瀬教会
 佐仁教会・屋仁教会)


また、大笠利教会の下には奄美でも珍しいキリスト教だけの墓地もある


クリスチャンの友人にこの前聞いたのだが、奄美の墓参りに関しては
宗派に関係なく、旧暦の1日・15日に墓参りする習慣がある


祖先を敬い尊敬して墓参りすることは、奄美の美徳の一つではないだろうか









  

Posted by 奄美愛ネット at 09:00Comments(0)歴史戦争遺跡

2013年12月23日

奄美初の奉行所


奄美愛ネットの平井です


大島奉行所跡は旧笠利町文化財(S46年指定)

琉球王朝から薩摩藩の直観地となって大島全体の
行政機構がここに置かれた

慶長18年(1613年)寛永10年(1635年)の22年間
大島統治の拠点となった

その後大熊・赤木名など数回移転している



現在はサンゴ石垣だけがその名残をとどめている






  

Posted by 奄美愛ネット at 09:00Comments(0)歴史

2013年12月18日

奄美を開祖した二神伝説(その2)


奄美愛ネットの平井です


前回「奄美開祖伝説」は笠利町と宇検村の
二説ありと言いましたが、調べた所次の仮
説が解りました


奄美開祖伝説のアマンディは中世のころに
大和文化と共に奄美に伝わり笠利の現在の
アマンディの場所よりさらに上の山の山頂
にあり、その後参拝が険しい為中腹の現在
の場所に設置(明治34年頃)されたもの
と思われる



とてもキツイ山道を登りますが
山頂はとてもすがすがしい場所














明治時代に山岳信仰などもその後信仰され
奄美大島で一番高い湯湾岳山頂にも設置さ
れた(明治37年頃)と思われる












多分昭和の時代に入ってから笠利の中腹の
参拝も大変なことから集落の麓に阿摩彌姑
神社が建てられて現在に至っていると思わ
れる














非常に興味のある前回を含めた4か所です

女神は何時の時代にも崇められる様ですね


いずれの場所もパワースポットに違いありません

  

Posted by 奄美愛ネット at 17:47Comments(0)歴史パワースポット

2013年12月17日

蒲生神社はパワースポット!


奄美愛ネットの平井です



蒲生神社は本当に不思議な空間でした


奄美大島には、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平氏の残党が
落ち延びてきたという平家伝説が各地に数多く残っています。


奄美大島に渡ってきたのは平行盛、平有盛、平資盛のお三
方で行盛は龍郷町戸口に、有盛は奄美市名瀬浦上に、資盛
は瀬戸内町加計呂麻島の諸鈍に居を構えて、のちに3人を
祀った神社もある。


そして源氏の船(白旗)を見張るために、東シナ海側には
今井権太夫と蒲生左衛門を配した。

その名をとった今井崎と蒲生崎はそれぞれ今井神社、蒲生
神社が建てられているんだそうです。


「蒲生神社に行ってから、人間関係やそ
の他色々なことが良い方向に進むように
なった」と言われています。



やはり蒲生神社はパワースポットなんですね!


























奄美に来た時は是非行ってみてね!!!  

Posted by 奄美愛ネット at 08:11Comments(2)歴史パワースポット

2013年12月13日

平家伝説(浦上・有盛神社)


奄美愛ネットの平井です


壇ノ浦の戦い(1185)で源氏に敗れた平氏の残党が落ち延びてきた
という伝説が奄美各地に数多く残っています。

平行盛(たいらのゆきもり)、平有盛(たいらのありもり)、平資盛
(たいらのすけもり)は、最初は喜界島に逃れ、後に大島に渡って
きた。行盛は龍郷町戸口に、有盛は奄美市名瀬浦上に、資盛は瀬
戸内町加計呂麻島の諸鈍に居を構えて、家来を各地に配備して源
氏の追随に備えていた、との伝承があります。


この3箇所の地には、3人を祀った神社が建立されています。行盛
神社(龍郷町戸口)、有盛神社(奄美市名瀬浦上)、大屯神社
(おおちょん神社、瀬戸内町諸鈍)がそうです。


また、笠利町の蒲生崎、龍郷町の今井崎等奄美各地に平家伝説や
まつわった話が数多く残されています。


有盛神社には、薩摩藩の役人・田代清方(たしろきよかた)が航海
安全を祈願したご神体(石造弁才天像)を寄進しています。


また、境内の奥地・丘陵の頂上付近には大島代官・肥後翁助(ひご
おうすけ)が文化13年(1816)に寄進建立した平有盛の墓碑があります。


更に奥には、中世の山城跡と考えられる遺構(堀り切り等)が確認さ
れています。


薩摩藩時代、大熊は主要港で鹿児島などへの寄港地でした。鹿児島
へ行く場合、難所であったトカラ七島灘での航海安全を祈願するた
めに、この浦上有盛神社に参詣する人が多かったようです

この地はパワースポットでもある











奄美市指定文化財(石造弁才天像)



  

Posted by 奄美愛ネット at 08:05Comments(0)歴史パワースポット

2013年12月11日

奄美の古民家


奄美愛ネットの平井です


国指定有形文化財 平成6年7月 12 日指定

泉家住宅は,明治時代初期に建設された古い別棟型民家
(分棟型民家ともいわれる)であり,座敷棟の「おもて」
と台所棟の「とぉごら」からなる。

「おもて」は寄棟造・トタン葺で,トコをもつ八畳の座敷
とそれを囲む3つの小さな部屋からなる。

「とぉごら」は入母屋造・トタン葺で,台所の機能をはた
す建物で2部屋からなる。

「とぉごら」の南西には4本の円柱をもつ高倉(高床の倉)
が建ち,その南には井戸がある。

屋敷の周囲には土塁がめぐり,その上に防風林が茂っている。

泉家住宅は,奄美地方で建設年代が 19 世紀に遡る数少ない
民家の一つであり,「おもて」と「とぉごら」の両棟が高倉
とともにそろって残っている貴重なものである












  

Posted by 奄美愛ネット at 12:50Comments(0)歴史

2013年12月11日

 畠中三太郎をご存じですか?


奄美愛ネットの平井です


住用町の中ほどにある三太郎峠

明治20年(1887年)に当時の須垂方(すたるほう)と
住用方(すみようほう)を結ぶ峠越えの新道が計画され明治
32年(1899年)には、川辺町(南九州市)出身の農業
指導員、畠中三太郎がこの峠に茶屋を建て、夫婦で付近の林
を開墾し始めた。 

何時しかこの峠を三太郎坂と呼ぶようになりその後は三太郎
峠となる

人々が永く生活道路として歩いたこの峠は歴史の道として今
に残る

畠中三太郎夫婦は生涯この地を離れなかった


住用町東仲間側登口





三太郎茶屋跡



旧山道




今度歩いてみたいと思います  

Posted by 奄美愛ネット at 07:50Comments(0)歴史